鬼束ちひろ

ARTIST PICK UP

鬼束ちひろ

魅力的な歌声にゆっくり包まれて過ごす、素敵な時間。
待望のデビュー・アルバム『インソムニア』は、
大切な思いと激しさと優しさがいっぱい詰まった会心作。

(初出『Groovin'』2001年2月25日号)

 雨の日が嫌い。雨の朝なんか、その日のこれからの予定を考えただけで気持ちが滅入ってしまう。しかし時に雨は、人に良い効果を与えることもある。雨によってもたらされるマイナス・イオンは我々の気持ちを静め、穏やかな心へと導いてくれる。そのせいか、私が唯一好きなのが雨の日の読書。本の中の出来事や物語の主人公の気持ちを、なぜかスーッと無理なく心に取り込める気がする。そう、この感覚…。これこそ鬼束ちひろの声を初めて耳にしたときの、私の印象だった。
 彼女の活躍は、既に2ndシングル「月光」の大ヒットでご存じの方も多いだろう。かく言う私も、初めて耳にしたのは深夜のテレビ・ドラマのエンディングで流れる「月光」だった。ピアノと弦楽器を中心としたシンプルな編成のサウンドの中に、一際光る伸びやかな声。説得力さえ感じさせる、まさに自然と心に溶け込む声質だ。しかし彼女の詞の世界は、意外とそのイメージとは一見異なるハードな内容。痛いほど、言葉の破片が容赦なく心に突き刺さっていく。でも、だからといって一過性のメッセージを前面に打ち出した、単純な曲とは全く違う。いくら激しい言葉を使っても作品全体としては、全てを包み込んでしまうような優しさに満ちあふれているのだ。
 そして待望のフル・アルバム『インソムニア』が遂に完成した。本作にはもちろん、デビュー・シングル「シャイン」や「月光」、3rdシングル「Cage」、そして先行発売されヒット中の4thシングル「眩暈/edge」も収録され、初のアルバムにしてまさに現段階でのベスト盤とも言える豪華な内容だ。しかも「BACK DOOR」「シャイン」「月光」の既発3曲は、別テイクのアルバム・ヴァージョンとして収録されている(「月光」はシングル・ヴァージョンと両方収録)。このアルバムを通して聴いてみれば、おそらく彼女の音楽や言葉に対峙するスタンス…それが決して狙って作られたものではないことが分かるだろう。シングル曲を聴く限りでは、ひとつ間違えば歌詞の通りの例えば絶望感とか焦燥感とか希望とか、そんなものばかりクローズ・アップされてしまう可能性もあるが、この『インソムニア』にはそんな小さな事よりもさらに先を見据え、自身の表現の翼を広げようとする鬼束ちひろのポジティヴな姿が随所に溢れている。そしてそこからは、本当の彼女の作品に対するスタンスが見えてくるはず。例えば「シャイン」のアルバム・ヴァージョン。シンプルなアコースティック・ピアノのみをバックに歌い上げる彼女の声からは、激しさを歌っているにも関わらずそれとは反対の安らぎと落ち着きを感じてしまうのだ。この二律背反する要素を同時に成し得てしまうことこそ、鬼束ちひろの不思議さであり、最大の魅力ではないだろうか。だからアルバムを通して聴いてみても、決して疲労感や重さは感じない。それどころか最後のアコースティック編成による「月光」が終わった後も、その余韻を楽しんでしまう自分に気付く。それぐらい完成度が高く素晴らしい作品だ。
 この原稿を書いている今も、外は雨。その雨音の中に鬼束ちひろの声は溶け込んでいく。『インソムニア』を聴きながら、彼女の声は心の中の矛盾や疑いすらも洗い流してくれる気がした。そしてもう一度、ニュートラルな自分に戻れる気がした。

Text by 土橋一夫(編集部)

『インソムニア』
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CD
東芝EMI
TOCT-24560
¥2,913(税抜)
3月7日発売

デビュー曲「シャイン」や大ヒット曲「月光」、3rdシングル「Cage」、ヒット中の4thシングル「眩暈/edge」も収録した、待望のデビュー・アルバム。優しさとヒーリング感覚を併せ持つ、鬼束ちひろの今の魅力満載の1枚。心の中にそっと浸透していく歌声は、最高の安らぎと音楽の素晴らしさを与えてくれるはず。

【鬼束ちひろ official homepage】http://www.onitsuka-chihiro.jp/

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