吉田拓郎

ARTIST PICK UP

吉田拓郎

1970年、"古い舟をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう"と歌い、新しい世代の旗手となった。
あれから30数年。夢はまだ終わっていない。
満月の夜、僕らのカヌーが静かに海に出る。

(初出『Groovin'』2003年3月25日号)

 「月夜のカヌー」には声を大にして言わなければいけないことがある。それは、作詞家の岡本おさみとのコンビが全面的に復活していることだ。このアルバム用の曲は殆どが岡本おさみとの書き下ろしになっている。吉田拓郎と岡本おさみのコンビが誕生したのは1971年のアルバム『人間なんて』の中の「花嫁になる君に」からだ。岡本おさみは、当時、ニッポン放送の「フォークビレッジ」などの番組を構成する放送作家だった。吉田拓郎は、71年8月の「中津川フォークジャンボリー」で「人間なんて」を2時間歌い続けて衝撃的なインパクトを与え、まさに歴史的なブレイクを果たす直前だった。「旅の宿」「祭りのあと」「置き去りにした悲しみは」など、それ以降の2人のコンビが残した名曲は枚挙にいとまがない。
 かと言って吉田拓郎が岡本おさみに依存していた形跡は皆無だ。1枚のアルバムの中で拓郎は岡本おさみをあたかもライバルであり仮想敵として張り合うかのように自分の詞を同居させていた。そして、70年代を岡本おさみと築き上げた拓郎は、80年に2枚リリースされた名作アルバム『SHANGRIーLA』『アジアの片隅で』であたかも一区切りつけたかのように距離を置くようになる。80年代のアルバムの多くが彼自身の詞・曲だった。
 自分で作り上げた"吉田拓郎"を自分で壊してゆく。あるいは塗り替えてゆく。それは、彼にとっての音楽が"今の自分の心情"を綴るものであるということを物語っているのだと思う。これまでの代表曲をリメイクした前回のアルバム『oldies』の時に、それぞれの曲のエピソードや思い出を一切語らなかったのも、そういうことだろう。そして、そんな生き方に、「変わってないなあ」と思わされたのだ。
 新曲のほぼ全曲が岡本おさみというのは1973年の『LIVE '73』以来30年ぶりになる。96年の『感度良好波高し』には石原信一や阿木燿子も書いていた。今回のレコーディングは、打ち込み系の音を一切使っていない。それはアマチュア時代、広島の米軍キャンプなどで演奏するR&Bバンドを組んでいた彼の出発点でもあるからだろう。バンドの音と演奏だけでここからもう一度漕ぎ出してゆく。それでいて、3年ぶりのツアー「TAKURO&his BIG GROUP with SEO 〜豊かなる一日〜」は、総勢20名以上の空前の規模だ。吉田拓郎の音楽的原点と未来像がそこに見える。
 吉田拓郎の過去・現在・未来。このアルバムは、団塊の世代はもとより70年代という時代に青春を過ごした全ての人達に向けた「今日までそして明日から」なのだと思う。

Text by 田家秀樹

『月夜のカヌー』
吉田拓郎-J.jpg




CD
インペリアルレコード
TECI-1042
3月26日発売
¥2,900(税抜)

岡本おさみの言葉の端々に"これまで"と"これから"が見える。「聖なる場所に祝福を」の中の"希望"や"祝福"、「月夜のカヌー」の中の"夢の続きに漕ぎ出よう"というフレーズや"老いた人" "家族の舟"などの言葉に込めたもの。それこそ"ときめく時を過ぎて"しまった僕ら自身の有り様だろう。

【吉田拓郎 official website】                           
(エイベックス)http://avexnet.or.jp/takuro/index.html
(インペリアルレコード)http://www.teichiku.co.jp/artist/takuro/

inserted by FC2 system