SUMIYA'S STANDARD 対談:なぜ音楽の仕事を選んだのか?

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鷲尾 剛(静岡本店店長)/松本昭仁(営業グループ 音楽MD)/
中野智人(営業グループ 音楽MD)/常盤安信/鈴木 篤(三島店)
司会&構成:土橋一夫(編集部)/編集協力:浜田幸子(編集部

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SUMIYA'S STANDARDとは…?
「歌は世に連れ、世は歌に連れ」ということばがあるが、音楽はいつの時代でも、人それぞれのBGMとして「思い出」の中から聴こえてくる。子供の頃は初めて家に届いたテレビの中で動く歌手の姿と重なり、青春時代にはメッセージが織り込まれたフォークだったりしたものだ。ある人にとっての初恋の歌が、ある人にとっては失恋の歌であったり、音楽は人それぞれの記憶の中で幾色にも変化していく。
 そんな時間を切り取ってみたり、あるいは積み残された何かをあらためて探したり、その背景にふさわしいと思われる「名曲」「名盤」「定盤」を自由自在に切り取ったのが、このSUMIYA'S STANDARD。ここに掲載したのはほんの一部。ここに載せきれない様々な音楽たちがお店で待っています。
 僕はこう思う、私はこう思う、とこれを読まれた皆さんが「音楽」への思いを甦らせて下されば嬉しいのですが…。そんな事を願って。

SUMIYA'S STANDARD

■対談:なぜ音楽の仕事を選んだのか?
 今回はすみやのスタッフに集まってもらい、なぜ今までこの仕事を続けてきたのか?どういうきっかけでこの仕事に就いたのか?という話を対談形式でしてみました。ネット全盛の時代にあって、店頭で音楽ソフトを売るという仕事の裏には個々にどんな背景があったのか?その辺りに注目してお読みいただけると、これからのレコード店のあるべき姿の一端が見えてくるかも知れません。

(初出『Groovin'』2010年3月25日号)

PART 1

土橋:本日は「なぜ音楽を仕事にしてやってきたのか」というテーマですが、宜しくお願いします。さて最初は鈴木 篤君から。
対談写真1.jpg鈴木:僕は1974年に山形県の酒田市で生まれまして。レコード屋さんというレコード屋さんは無く、貸しレコード屋さんにちょこっと置いてある程度のような町で18歳まで過ごしていました。大学を出て23歳ですみやに入ったんですが、最初は音楽の仕事ではなくパソコン(事業部)だったんですね。そこから本社に行って、それもまた営業じゃない方で、もっと音楽に近い仕事がしたいと言い続けて、それで販促、店舗へと移ったんです。それで本社の4階(MDフロア)に行くようになって。その後、実際に店員として音楽の販売に関わったのは三島店なんですよね。僕は、とにかく自分を表現したい、自分が思っていることってきっと他の人だってこう思ってくれるんじゃないか、自分が感じる感覚って、きっと100人いたら2人か3人かは同じ思いをしている人がいるんじゃないかって、そういう人と出会いたいし、そういう人と話したいし、そういう人の音楽を聴きたいし、その人の本を読みたいし、ってそういう風にずっと思っていて。一番最初に音楽を意識して聴いたのが、親父が聴かせてくれてたビートルズの『レット・イット・ビー』だったんです。その頃って1980年代で、テレビ番組もラジオも普通に歌謡曲、ヒット・ソング、ポップスっていうのは耳に入ってきてたんですけど、自分から自覚して読んだり聴いたりしてみたいって思ったきっかけが…友だちのお兄ちゃんで、小学校5年生の秋なんですけどね。村上春樹の『風の歌を聴け』を読んだことから始まったんですよ。それで本の中に色々な曲とかアーティスト名が書いてあるんですよね。ブルック・ベントンの「雨のジョージア」とかクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、それからビートルズ、ビーチ・ボーイズですね。その頃周りのみんなは、ブルーハーツなんですよ。当然のように僕もブルーハーツには衝撃を受けて。でもそれとは別に、絶対誰も聴いてないだろう、読んでいないだろうっていうものを聴きたい、読みたいっていうのがすごい強かったんですね。それで1989年にフリッパーズ・ギターの『three cheers our side〜海に行くつもりじゃなかった』を。ラジオで知ってレコード屋さんに無かったんで、東京のレコード通販で。そこから東京への憧れ、音楽や本に囲まれている生活に対する憧れが強烈になっていったんです。高校1年の時に3年の先輩ですごい綺麗な人がいて、その人の家でレコードとか聴かせてもらって気に入ったのがベン・ワットの『ノース・マリン・ドライブ』。同時にピチカート・ファイヴも聴くようになって、小西康陽さんのエッセイをまとめた『これは恋ではない』には影響を受けました。それからこれ以降の自分の生き方を変えたのが(小沢健二の)『犬は吠えるがキャラバンは進む』の彼自身が書いたライナーなんですよね。ある時はとても励まされ、ある時は泣けてきたりとか、色んな思いを文章の中から感じ取って、それは自分が村上春樹から入ってきて、自分の中のもやもやしていたものが、彼の言葉とか音楽を通じておぼろげながら形が見えてきたんですよね。彼みたいに自分が表現したことで人の心が動く、自分自身が動かされたっていう体験を還元していくっていう。音楽の仕事に直接的に触れるってことはこれまで無かったんですけど、今後も音楽は間違いなく自分の人生における大きな一本の柱になると思うし、そういう体験を今のこどもたちに教えたいって思っています。音楽で人生はもっともっと豊かになる。大げさですけど音楽で世界は変えられる。それがこれまでの僕の人生で得てきたものへの恩返しと、これからの未来に向けての大きな楽しみになっていくのかなと。
土橋:さて、次は中野君に。
対談写真2.jpg中野:そもそも音楽は好きだったんですけどね。僕が小さい頃は『ベストテン』とか『夜ヒット』とかテレビではやってて、録音機材なんてなかったからテープ・レコーダーをテレビにくっつけて。
鷲尾:僕なんてテレビに向かって写真撮ったりしてたもんね。
中野:中学になってアルフィーがニュー・ミュージックとか呼ばれていた頃ですよね、それを友だちから聴かせてもらったりして。1985年くらい、10万人コンサートとかやってた時。その後TM NETWORKとか聴いていて。それで高校に入ってバンドやってる奴とかがちらほら出てきて、彼らがセックス・ピストルズとかを出してくるんですよ。それを聴かせてもらっても、うるさいって感じだった。けれどそのとき好きだった女の子が、スミスとかオジー・オズボーンとかを聴くような子で。でもメタルって様式美でわかりやすいから、はまったんですよ。それからメタルにいって、オジー、ジューダス・プリースト、アイアン・メイデンって過去にさかのぼっていって。で、アルフィーの高見沢俊彦もメタル好きなので、あの人が『鋼鉄の処女』を聴いてるって聞けば自分も聴いたりして。なので高校の時はずっとメタルで、パンクはよく分からないままだったんですけど、大学の新入生サークル勧誘でどこかのサークルからニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が爆音で流れてて。あれにやられたんです。そこから地元の秋津のレコード屋でアルバイトをしたんですよ。店では店員の好きな曲を自由に流せたので、僕が入ってるとオジーとかジューダスとかを流していて、その時に知り合ったバイトの先輩がデヴィッド・ボウイがすごく好きで。ある時にデヴィッド・ボウイの『ハンキー・ドリー』のピアノの音が急に耳に入ったんですよ。そこからはメタルを聴かなくなりましたね。メタルみたいに様式美のカチっとした音楽だけじゃなくて、なんでもやっていい、なんでも聴いていいって思ったんですよね。だからそこからはグランジもそうだし、ローファイとかテクノ、ドラムンベースとか…ちょうどその頃にフジロックとかサマソニとかも始まって、僕は洋楽一辺倒になったんですよね。ただし就職の時には、音楽は趣味と思っていて就職までは考えてなかったんですよ。色々な企業の説明会に行ったんですけど、どれもピンとこなかったんですよね。それでこれから10年、20年続けていきたいものってなんだろうって考えた時にやっぱり音楽なのかなって。それからメーカーとか楽器屋とかCD屋とか受けましたね。それである時、すみやの八王子越野店(当時)に行ったんですけど、それが汚い店だったんですよ。そのとき、俺がこの店をやったら綺麗にできるなって思ったんですよね。もちろん思い違いでしたけど、それを面接のときに言ったんですね。
鷲尾:裏付けのない強気ってすごいよね。
中野:それを受け入れてくれた時は嬉しかったですね。後々店長にも恵まれて、鷲尾さんも店を回って来てくれたりして。くるりの1st『東京』がすごいぞって持ってきてくれたのも鷲尾さんでしたしね。音楽的な知識も出来ましたし、店を作る、売り上げを作るっていう意味でも勉強になりましたし、だから14年間続けてこられたんですよね。僕は音楽を通してすみやの中でも、メーカーでも色んな人と会っててそこで繋がりが出来ていろんな刺激を受けられてたことが、今ここにいる理由なんだろうなって。今すごく思いますね。
鈴木:いろんな人と知り合ったりすると自分の視界が開けるんですよね。それにうちの会社って本当に変な人が多いじゃないですか。
中野:筆頭に…(鷲尾さんを指して)。
鷲尾:僕は本当に普通だよ。普通(笑)。
鈴木:だからこういう人たちと一緒に働けたことはすごい幸せだなって思いますね。
中野:そういう話を聞くと、それこそ今…今、基本に戻らなきゃいけないんですよね。
土橋:そう、今やらなきゃいけない時なんですよ。
鷲尾:変な使命感はなかったよ。ただ好きだからっていう。お店にいた時は自分の好きなものを選んで注力してイニシャルも多く取って試聴機に入れて売ったりしてそれは快感だけど、MD(マーチャンダイザー)をやっていて面白かったのは会社的に売った方がいいっていうCDを売ってそれが実績として上がってきた時の快感ね。次は松本君の話を聞こうよ。

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