編集長のおすすめ!(最終回)

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(最終回)

 今回のこのコーナーでは、3月24日にリリースされた小坂 忠の『HORO2010』を取り上げてみたい。小坂 忠というアーティストが、例えば現代における10代〜20代の、しかもJ-POPSのいわばルーツ・ミュージックに対して志のあるリスナーの間ではどのような位置づけで、どういうイメージで捉えられているのか?それは僕にはあまりピンと来ないのだが、それよりも少し上の世代には例えば1980年代に起こったYMOや、大滝詠一の『ロング・バケイション』などの成功によって、そのルーツを辿る過程で彼の存在に出会った、という人も多かったように思う。また小沢健二やヒックスヴィルなどの音楽が好きな世代には、間接的に彼らを通じて小坂 忠の音楽に目覚めた、という方もいらっしゃるだろう。出会いの時期や方法は違えども、まず彼の作品を聴いたときに驚かされるのは、恐らくその圧倒的な歌唱力であることに異論はないだろう。真っ向からサウンドを受けとめながらソウルフルに歌い上げる彼のスタイルは、時代を超えて我々を圧倒するだけのパワーを備えている。それは例えば、1970年代のアルバムでも、最新のオリジナル作でも、変わることはない。そして歌唱力の印象と共に感じるのは、そこに音楽への、歌への深い愛情が満ち溢れている、ということだ。
 小坂 忠は1966年に菊地英二、柳田ヒロらとフローラルを結成し、レコード・デビュー。その後これが発展する形で、小坂 忠、菊地英二、柳田ヒロ、細野晴臣、松本 隆(当時は松本 零と表記)で1969年に結成されたのが、エイプリル・フールだった。しかしエイプリル・フールはアルバム『THE APRYL FOOL』リリース時には既に解散状態にあり、その直後に細野晴臣はヴァレンタイン・ブルー(後のはっぴいえんど)の結成にあたって小坂 忠をヴォーカリストとして呼ぼうと考えるが、小坂 忠自身はミュージカル『ヘアー』日本版のオーディションに合格し出演することになり、その結果、同じバンドで顔を揃えることはなかった。だがミュージカル『ヘアー』が出演者の不祥事によって打ち切りとなると、小坂 忠は音楽をメインとした活動にシフトし、1971年には川添象郎や村井邦彦らによって設立されたアルファ・ミュージックの第1弾アーティストとして契約し、同年にアルバム『ありがとう』をリリース。翌年には『もっともっと』を、1973年には『はずかしそうに』を発表、そしてそれらに次いで1975年1月にリリースされたのが名盤『ほうろう』だった。
 旧友である細野晴臣をはじめ、鈴木 茂、林 立夫、松任谷正隆といったティン・パン・アレーのメンバーに加えて、鈴木顕子(矢野顕子)、吉田美奈子、山下達郎という豪華メンバーが揃った『ほうろう』は、ティン・パン・アレーが奏でるアメリカン・ミュージックのDNAを見事に引き継いだサウンドの斬新さ、それから「しらけちまうぜ」「流星都市」などに代表される松本 隆の描き出す世界観や、独特のグルーヴで今なお人気の1枚だ。ジャパニーズ・ソウルの金字塔と言っても過言ではない、小坂 忠の作詞・作曲による名曲「機関車」や、はっぴいえんどの3rdアルバムに収録されていた鈴木 茂の代表作「氷雨月のスケッチ」と細野晴臣作品の「ふうらい坊」のカヴァーなど聴き所も多く、その後の再発によって度々再評価され、今なお1970年代を代表する名盤として聴き継がれているのは御存知の通りだ。
 さて今回リリースされた『HORO2010』だが、これは前述の『ほうろう』の16チャンネル・オリジナル・マルチ・トラック・テープが発見されたことに端を発して制作されたもので、簡単に言ってしまえば当時の演奏をそのまま生かし、新たにヴォーカルのみを録音し直してミックスした作品だ。つまり演奏は1974年の録音、ヴォーカルのみ最新録音ということになる。両者の間には実に36年もの年代差があるのだが、そこには違和感は一切存在しない。それは本作を聴いて頂ければお分かり頂けるかと思うが、『ほうろう』での20代の小坂 忠にはなかった味わいや深みが、この『HORO2010』には存在するのだ。
 こういった過去の自分と現在の自分とのいわば対決ということになると、当然の事ながら、オリジナルと同じキーで歌わなければならないため、通常なら歳とともに出にくくなる高音をどうするか、その辺りが一番気がかりなところではある。しかし本作においては全く問題はない。この辺りについて、本作のプロモーション資料として添えられた彼のコメントには、こう記されている。「しかし、同じトラックで歌うということはキーも35年前と同じキーで歌うということだ。一番心配だったのは「機関車」だった。今はCで歌っているが「ほうろう」ではEで歌っていたはずだ。35年前の歌を聴きながらこっそり歌ってみた。いけそうだ!20代には20代の意気込みがある。しかし、60代には60代の意地があるってもんだ。よし、受けて立とう!というわけでこの突拍子もない企画が実現したのだ」…これはずっと歌い続けてきた小坂 忠の、まさに面目躍如といったところだろう。ずっしりとした安定感、表情の奥深さ、この辺りは確実に進化を遂げている。
 そしてもうひとつ、声を大にして言っておきたいことがある。それは『ほうろう』のオリジナル・マルチが素晴らしい状態でよくぞ今まで保管されていた、ということだ。細野晴臣の1970年代のソロをはじめとして、実は多くの名盤のオリジナル・マルチが現存しないことを考えると、これまで『ほうろう』のオリジナル・マルチを保管されてきた関係者に心から御礼を申し上げたいと思う。アルファという音楽的に志の高いレーベルの原盤だったからこそ実現できたことだと思うが、これを機にもう一度、守ること、受け継ぐことの大切さと原盤を所有することの意義を世に問うという意味でも、本作のリリースは誠に意義深いことだと思う。

(初出『Groovin'』2010年3月25日号)
Text by 土橋一夫(編集部)

小坂 忠『HORO2010』
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SMDR
発売中
CD
MHCL-20080
¥3,000(税込)

1975年にリリースされた『ほうろう』のオリジナル・マルチ・トラックの演奏に、新たにヴォーカルを録音し直してミックスした、2010年ヴァージョンが登場。36年の時を経ても変わらないクオリティの高い演奏と、60代となっても進化し続ける小坂 忠のヴォーカルとの鬩ぎ合いを最高の音で!

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