#35 ラリーパパ&カーネギーママ PART 2 of SPECIAL INTERVIEW

SPECIAL INTERVIEW

ラリーパパ&カーネギーママ

8月22日に待ちに待ったアルバム『ドリームズヴィル』をリリースした、ラリーパパ&カーネギーママ。関西を中心に活動してきた彼らですが、最近では関東でのライヴ活動も活発に行って、もはやシーンを担うバンドの1つに成長しました。不思議な浮遊感と独特の色彩感を持つ彼らのサウンドは、とても魅力的。そんな彼らへのインタビューが遂に実現しました!新作アルバムの制作について、また彼らが目指す音楽について、横浜でのライヴ直前の貴重なお時間を頂き、色々とお話をおうかがいしてきました。『ドリームズヴィル』完成記念のロング・インタビュー、完全版でお届けします。

(初出『Groovin'』2002年8月25日号)

PART 2

ラリーパパ-A.jp

−−:ところで今回のレコーディングはアナログですよね?その辺のこだわりとかは?
金 洙鉄:デジタルも試したんですけど、やっぱりアナログの音の方が…。全員70年代の音楽とかが好きなんで、その音を本当に作ろうとしたらやっぱりアナログしかないっていうことでしたね。
−−:皆さんが表現しようとしている音の質感とかを大切にした結果、必然的にアナログしかなかったっていうことですね。
金 洙鉄:そうですね、音の質感とか、温かさとか。
辻 凡人:でも満足感があったよね、アナログのオープン・リールで録ったっていうことでは。
−−:では、ほとんどが一発録りですか?
辻 凡人:そうですね、歌は別です。最後の「おしまい」以外は歌は別ですけど、他(の楽器)は一発録りですね。
−−:でも一発録りがバッチリ決まった時の感激ってありますよね。
辻 凡人:それはありますね。
−−:何かイメージとして具体的に参考にされた作品とかは、あるんですか?例えば『Hosono House』みたいにしたいとか…。
辻 凡人:僕のドラムに関しては、林立夫さんの持っている感じをイメージしましたね。
趙 亨来:僕なんかは新しい音楽をあまり聴かないんです。60年代とか70年代のものとか、ライヴ・アルバムとかをよく聴いてるので、デジタルの音には違和感があるんですよ。だからアナログの方がしっくり来るし、そっちの方がリアルに感じるんです。
−−:皆さんは、最初からそういうアナログの古い音に辿り着いたんですか?それともデジタルな音がいやになって遡っていって、気付いたときにはアナログに辿り着いたんですか?
辻 凡人:僕の父親はベースを弾いているんですよ。それで割と豊富に音楽を聴ける環境にはあって、小さい頃から家ではスティーヴィー・ワンダーや山下達郎さんを聴いて育ってきたから、そういうのがあると思います。それなりにニルヴァーナも聴いたりとかしてた時期もあったんですけど、全然こっちの(アナログ的な)音の方がしっくりきましたね。
−−:十夢さんは、実際これにハマったというのはありましたか?
水田十夢:中2の時に、親が持ってたビートルズ(のレコード)にドップリはまりましたね。高2、高3までずっとビートルズばっかり聴いてました。その間に長渕剛も入りましたが(笑)。
辻 凡人:そうなんだ(笑)。
水田十夢:あとはoasisとか。大学1年の時にやってたバンドのヴォーカルの人が、はっぴいえんど周辺とかトム・ウェイツとか、趣味のいい音楽を好きで、それでその辺に一気に入っていって。自分の周りでは流行っていたんで。あと中学の時の同級生にザ・バンドとボブ・ディランしか聴かない人もいましたし、その人に借りたりして。
−−:70年代の音をすごく今作からも感じるんですが、それが例えば80年代の大滝詠一さんの『ロング・バケイション』とか山下達郎さんの『For You』とかの眩しい音ではなく、70年代の音にしっくり合ったっていうのは、どうしてなんですかね?今だったら、70年代前半の音の方がこの時代に合うんじゃないかとか考えたりしますか?
辻 凡人:そんなに深く考えてはないです。単にそういう音楽が好きだからやってるっていうだけですよ。
−−:あと例えばこのメンバーではなくて、違う人とバンドを組んでいたらどんな音楽をやってたと思いますか?やはりこういう音のものを演ってますかね?
辻 凡人:仮にドラムが僕じゃなかったとしても、曲を作る2人の雰囲気を大切にするメンバーだったら、今のようなサウンドになったと思います。まあでも僕が叩くことで細かなところで差があったら、嬉しいですけど。
−−:曲を書かれるお二人は、その辺はいかかですか?やはり自分で曲を書く以上、自分のイメージするサウンドを今のような路線で追求していたと思いますか?
趙 亨来:今このバンドで、自分でやりたい音が出来ているっていうのと、僕が他のバンドに誘われないので(笑)…表現力がないのか、曲が強すぎるのか、協調性がないのか…(笑)。
辻 凡人:全部当たってるな、それ(笑)。
趙 亨来:でも本当にこのバンドでやりたいことが出来てるから、別に僕は他のバンドをやりたいとは思わないですね。むしろ弾き語りとか、そっちの方に行ってたかも知れないですね。
金 洙鉄:もしこのメンバーと知り合わなかったら、インストのグループとかやってたかも。スタッフとかセクションとか、そういうのが好きなんで。
−−:演奏家集団みたいな感じの?
金 洙鉄:そういうのもありますし、あと映画のサントラとかも好きなんで、そのサントラを聴いたときに映画の場面場面を思い出すじゃないですか。そういう音だけで場面を思い出せるものも作りたいし、結構意外なものも好きなんです。あとドラムとかリズムを聴いているのも好きなんですよ。だからリズムをベースにして音を乗せて曲を作ってもみたいですし。でも今の音に満足してるから、こういうものはバンドで出てこないと思いますけど。
−−:あと最近は、喫茶ロックやはっぴいえんどチルドレンとして語られることが比較的多いと思うんですが、その辺はいかがですか?
辻 凡人:「浪速のティン・パン」って言われたんですよ。これは光栄なことですね。それは言い過ぎだっていう意見もあるけど(笑)。「浪速の若きティン・パン」って。純粋に嬉しいですよ。
−−:他のいわゆるはっぴいえんどチルドレンで括られるバンドとは、違いますか?
辻 凡人:違います。
金 洙鉄:違いますね。僕らはもっと人間くさい音楽かなって思いますけど。
辻 凡人:本当に好きだから、こういう音楽をやってる、それだけですよね。
−−:それは作品を聴けば、はっきり分かりますよね。では次の話題に。このバンドは結成して何年ぐらいですか?
趙 亨来:十夢君が入ってまだ1年ぐらいだけど、元々(金 洙鉄と)2人でやろうっていうのがあって、その後やはりリズムがいるよなっていう話になって、それでメンバー募集して彼(辻 凡人)と女の子のベースと知り合ったのが4年ぐらい前。
辻 凡人:19歳ぐらいの時。
趙 亨来:それで1回バンドを組んだんですけど、それがすぐ解散になって、それでまた2人になってしまって。そこから半年ぐらい経って、もう一度あのメンバーでやろうかということでまた声をかけて、その時にまた別のヴォーカルを入れて5人になったんです。
辻 凡人:それが半年ぐらい。2年半ぐらい前。
趙 亨来:その後そのヴォーカルが抜けて、それで彼(金 洙鉄)が5人でがやりたいっていうので、(金)光浩に声をかけて。光浩は色んなバンドをやってたので、無理矢理このバンドでスケジュールを入れてしまって手伝ってもらって、それでいつの間にかメンバーに…。
−−:最初の頃にこのバンドが目指した音と、今の音はイメージ的に近いですか?
趙 亨来:そうですね。イメージとしては最初からありましたね。この5人で新しいバンドを作った時、すごくいいバンドが出来たなって思いました。
−−:このラリーパパ&カーネギーママっていうバンド名を付けたのは誰?どこから?
趙 亨来:はい、僕です。ダジャレです。ジョー・ママとかが好きなんで。キャラメル・ママとか、「○○ママ」「○○パパ」って付いたバンド名がいいなって思って。
−−:なるほど、ジョー・ママなんですね。あとこのバンドは、皆さんの中ではどんな位置にあるバンドですか?
辻 凡人:はい、青春です(笑)。
趙 亨来:命です(笑)。
金 光浩:希望です(笑)。
−−:あともう1つ、今皆さんが作っている音楽は、大阪って言う場所と何か特別に関係ありますか?例えば東京に住んでいたら、こういう音はやっていなかったとか思う事ってありますか?
金 光浩:大阪って大きな都市で、ムーヴメントみたいなものがあるんですけど、それ以外の音楽を好き勝手にやっている人も結構いるんですよ。そういう人を受け入れる場所もいくつか…京都とかにもありますんで、結構活動はし易いですね。それが一番強いと思いますね、好き勝手に出来るというところが。流されないでね。ライヴ・ハウスとか、発表する場所もいっぱいありますしね。でも大阪って、たとえばキタでこれが流行ってる、ミナミでこれが流行ってるとかいうのはないんですよ。近すぎるのかな。
水田十夢:京都はハコ(ライヴ・ハウス)が何でも受け入れてくれるんですね。例えば東京だとチケットのノルマがあるとか、お金を払わないと演奏できないとかそんな話を聞いたことがありますけど、それは大阪でも同じですけど、京都の拾得とかではそういうのはないんですよ。磔磔ではあるんですけど、でも「ちょっとやってみたら」っていう感じがあってですね。
−−:京都ってちょっと独特ですよね。
水田十夢:京大の吉田寮周辺を中心に動いてるんですよ。他にもテクノとか、ブレイク・ビーツとか色々なムーヴメントが何でもあるんですけどね。
−−:70年代にも京大西部講堂を中心とした動きがあって、そこで頭脳警察とか村八分とか、ロックからフォークの人たちまでが活躍したっていう流れがありましたよね。
水田十夢:西部講堂に他のバンドでですけど出たときは嬉しかったし、外道のジャケットとかに磔磔の後ろのところが写ってたりするんで、磔磔でやった時は嬉しかったりしましたよね。例えば当時、寺山修司のバックでドラム叩いてたとか、そういう方も普通にいるし、僕にとって京都はすごく刺激的な学生時代でしたね。神戸、大阪、京都は割と繋がっていて、僕がラリーパパに入る前に初めてラリーパパを観たのは、神戸のSTAR CLUBだったんですけど。
−−:東京はあまり前世代の方と一緒になったりすることが少ないんで、そういうのもいいですね。あと例えば、松本隆さんの歌詞を見ると、昭和30年代の東京の風景が描かれていたりするんですが、逆に皆さんは大阪の街からくるものを反映した詞を書こうとか、そういう風に思われることはありますか?
辻 凡人:はい、あります!っていいたいところだけど、僕は詞を書かないんで(笑)。どうですか?
趙 亨来:僕は引きこもりの自分の想像の世界ですから、どこでもないです。でも大阪なのかな。
辻 凡人:自分が見たことある街っていうことで。
趙 亨来:じゃあ、泉大津だ(笑)。
−−:では最後に、今後の活動予定やファンへのメッセージを。
辻 凡人:9月には関東でライヴもやりますんで、頑張っていきたいですね。個人的にはアルバムもガンガン作っていきたいと思ってます。
金 光浩:お客様は神様です(笑)。
辻 凡人:すばらしい!先にオチを言われてしまった(笑)。
趙 亨来:必ずしも、音楽をやる人間は音楽と人間性は一致しないということで(笑)。
辻 凡人:ライヴにも是非1度来て頂いて…。CDを聴いていいなと思われた方は、ライヴにも是非足を運んでみて下さい。
水田十夢:ファンの人は、ファンじゃない人を(ライヴに)連れてきて下さい(笑)。1人が2人に、2人が4人になり…。
辻 凡人:それってネズミ講?(笑)。
趙 亨来:そうやって、宗教を作っていこうとする(笑)。
金 洙鉄:CDも聴いて欲しいんですけど、ライヴはCDとまた全然違うんで、面白いと思います。ライヴにも足を運んで下さい。
−−:今日はありがとうございました。
全員:ありがとうございました!

(2002年7月22日/横浜STOVE'Sにて)
インタビュー&構成:土橋一夫&高瀬康一(編集部)

『ドリームズヴィル』
ラリーパパ&カーネギーママ-J.jpg




CD
ドリームズヴィル
YDCD-0090
¥2,500(税抜)
発売中

待望のフル・アルバムは、それぞれメンバーの音楽的な志向と個性が発揮された、名盤。70'sの温かみと人間が奏でる音色の素晴らしさに、是非浸ってみて下さい。美しいコーラスや、時にダイナミックに時に繊細に心を震わせるヴォーカルも印象的。絶対、お薦めです!

inserted by FC2 system