#10 ジョーイ・ステック&リー・マロリー(ミレニウム) of SPECIAL INTERVIEW

SPECIAL INTERVIEW

ジョーイ・ステック&リー・マロリー(ミレニウム)

68年に発表されたアルバム『ビギン』は、美しいメロディーとハーモニーで大きな衝撃を与え、ミレニウムの名をアメリカのシーンにとどろかせ、また日本では80年代初頭に長門芳郎氏により紹介され大きな反響を得ました。発表から32年が経った2000年に当時の貴重な未発表音源が次々発見/リリースされる中、その中心メンバーとして活躍したジョーイ・ステック氏とリー・マロリー氏が来日を果たしました。そこでミレニウムの大ファンとして知られるL⇔R/HOWの黒沢秀樹氏と共に、『Groovin'』ならではのインタビューが実現!ミレニウムの謎解きの旅へ、一緒に出発しましょう。

(初出『Groovin'』2000年7月25日号)

PART 1

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ーー:今日はお忙しい中、インタビューに応じて頂きありがとうございます。
ジョーイ・ステック(以下JOEY):こちらこそ、どうもありがとう。色々聞いて下さい。
ーー:僕らは西海岸の音楽が特に好きで、毎日聴いています!
JOEY:ホントですか?それは嬉しい!
ーー:実は彼(黒沢秀樹)はL⇔Rというバンドでギターを弾くミュージシャンで...。
JOEY:そうなんですか!
黒沢:すごく昔から(ミレニウムの音楽が)好きで、事あるごとにラジオの番組とかでかけたりしていたんですが、今日はお会いできるという話を聞いて飛んできてしまいました。お会いできてすごく嬉しいです!
JOEY:ありがとう!
ーー:ところで日本に来られたのは、初めてですか?
JOEY:初めてです。
ーー:印象はいかがですか?
JOEY:いいだろうとは思っていましたが、予想よりもっと良かった!長門(芳郎)さんや小川(雅己)さんなどドリームズヴィルの人達とはもう1年ぐらい一緒に仕事をしていますが、非常によい親交を結んでいて、だから日本に来られるのがとても楽しみだったんです。本当に素晴らしい!僕達の音楽を喜んでくれる人達は、僕はみんな大好きです。
ーー:実は今の日本では若い世代の音楽ファンの間で、例えばミレニウムやビーチ・ボーイズなどのサウンドを好むファンが増えてきているという現状があるのですが、昔の音源に対する日本でのこういった状況や再評価に対してはどのように思われますか?
JOEY:すごくいい質問だね。世界中の素晴らしい芸術...例えばゴッホの絵なんかと一緒で素晴らしい音楽はずっと愛されていくものであるし、僕の子供達またその子供達というように永遠に受け継がれ愛されていくものだと思うんですけど、僕の考えでは60年代後半〜70年代にかけての時代、ビートルズやビーチ・ボーイズ、アソシエイション、ママス&パパス、そして僕達がデビューしたあの頃に匹敵する時代というのは、これから先もなかなか出てこないかも知れないと思うんです。一時期で消えてしまった時代ではありましたが、あの時代のメロディーやハーモニーの「美しさ」は永遠であって、だからこそ今でも僕らの音楽が支持され愛されているんじゃないでしょうか。だからビートルズの『アビイ・ロード』とか、ビーチ・ボーイズの「イン・マイ・ルーム」や「グッド・ヴァイブレーションズ」『ペット・サウンズ』とか、アソシエイションの「チェリッシュ」とかが今でも愛され続けているんだと思いますよ。
ーー:彼(黒沢秀樹)なんかはミュージシャンですし、ずっとラジオ番組のパーソナリティも務めていましたので、そういう意味合いではミレニウムなどその時代の音楽のすごく素晴らしい部分を受け継いで、その上で自分たちのものとして消化して、しかも次の世代に繋げていくという役割を果たしてきた人なんですよ。
JOEY:すごく素晴らしい。だから僕達は創ったのかな?だからこそ。一番嬉しいですよ、そう言ってもらえるのが。何枚売るとかそういう事じゃなくって、今でも皆さんに音楽の貢献という意味で理解してもらえていることが一番嬉しいです。
ーー:では次に、当時のレコーディングやその裏話などをお聞きしたいのですが...。特にミレニウムのアルバム『ビギン』のお話は、とても興味あるところなんです。この時のミレニウムのメンバーは、カート・ベッチャーも含めて7名だと思うんですが、レコーディングはどういった形で進められていったのでしょうか?
JOEY:初めての16チャンネル・レコーディングでした。その時は今まで誰もやったことのないレコーディングだったので、試行錯誤の連続でした。録音史に残るものだと思いますよ。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』は8チャンネル、曲によっては4チャンネルなんですね。ドルビーのラバトリーがイギリスでジョージ・マーティンを助けてビートルズのアルバムを作ったんですが、そこで多重録音をした訳です、ノイズを介さずに。それはドルビーが初めて行ったんです。カート・ベッチャーはアソシエイションの「チェリッシュ」をプロデュースして、美しいハーモニーの多重化で注目を集めていましたが、そこでそういう情報が当時あったので、僕達のレコーディングには16チャンネル(・レコーダー)を導入してアルバムを作ったんです。もう天国にいるような素晴らしい気分でレコーディングしましたよ(笑)。今思うと、最終的にはちょっと凝りすぎたかな?と思うところもありますが、当時は余裕があったので色々なことをして入れてみたんですよ。僕は「天才」という言葉は滅多に使わないんだけど、彼(カート・ベッチャー)は本当に天才ですよ、アルバムの構築において。ミレニウムのメンバーであるサンディ(・サリスベリー)やマイケル(・フィネリー)、リー(・マロリー)、そして僕らは曲を彼に提供し、才能を提供し、良い演奏も提供した。だからミレニウムは特別なものだったと思います。非常に才能ある7人だったんです。だから(グループを)そのまま維持することは出来なかったんだけど(笑)。でもそれは、プロデューサーの夢だったと思いますよ。2、3人を動かすだけでも大変なんですよ、プロデューサーは。だから普通プロデューサーは、有名なスタジオ・ミュージシャンを探してくる訳なんですが、でも音楽への情熱とかはスタジオ・ミュージシャンは機械的に仕事をするので伝わりにくく、欠けてしまうんです。でもミレニウムには、ソフト・ポップ・ソウルがあった訳ですよ!これが一番いい言い方かな?そういう意味でも、本当にまだ誰も入ったことのない未踏の領域を一歩一歩進んでいったんです。8トラック・レコーダーを2台と1インチのテープをシンクロさせて、16チャンネルにした訳です。それを目一杯使いました。何度も演奏や録音を練習したのですが、そのうち段々と技術的にも慣れてきて、本当に嬉しかったし楽しく革新的なレコーディングができました。67年にあれをやれたというのは、すごいことでしたね。キース・オルセンというエンジニア兼共同プロデューサーのやっていることが、信じられない程でした。彼はリヴァース・エコーやステレオ・シンセイサイジングを用いて、35人分の声...つまり7人×5回をドルビーで録音していきました。こんな事、誰もやったことなかったと思いますよ。そう、ミレニウムの曲は"ラジオ・キャロライン"というイギリスの海賊放送(註:イギリスの沿岸に船を浮かべて、そこから放送をする海賊放送のこと)で流れたらしいですよ。それをポール・マッカートニーとジョージ・マーティンが聴いたという話を聞いたことがあります。60年代に大活躍した彼らに僕らのハーモニーを分かってもらえたのは、嬉しかったですね。
ーー:ジョージ・マーティンとポール・マッカートニーが、その放送を聴いていたんですか!
JOEY:そう、81年にジョージ・マーティンとキース・オルセンは友達になったらしいんですよ。キース・オルセンはフリートウッド・マックやパット・ベネターなんかをプロデュースした関係でジョージ・マーティンと知り合ったそうです。ジョージ・マーティンがその放送でミレニウムの曲を聴いてすごく楽しかったと、キース・オルセンが言っていたそうです。今ミレニウムを聴けば、僕はただ曲を作って演奏をしただけですが、カート・ベッチャーが作ったあの音は33年も経った今聴いてもまさに色褪せずに、昨日録ったような音に聴こえますよね。
ーー:本当に、そうですよね。でアルバム『ビギン』に収録されているそれぞれの曲を見ていくと、共作も含めてジョーイ・ステック作品が4曲、リー・マロリー作品が6曲(註:ソニー盤『ビギン』収録のボーナス・トラック含む曲数)ありますが、特に共作のものはどのような形で作られていったのですか?
JOEY:僕達は最高だったから、簡単だったよ(笑)。それは冗談としても、僕らはバンドとして個々がすごく密な関係にあったから、あまり苦労はなかった。僕とリー・マロリーはギタリストで、他のみんなも(ギターは)弾けたんですけど僕らは一番プロ的な立場だったから、カートや色々な人の曲が出来ると僕らがまずギターで弾いて、そこにもっとここのブリッジの部分をこうした方がいいとか、もっとコーラスを音楽的にこうした方がいいというアイディアとかをリーに出してもらって。すると今度はマイケル・フェネリーが僕の所に来て、色々リーと話したことを言うんですよ。カートもマイケルもリーに訊いたんですね。マイケルは作詞が、カートはメロディ作りが得意で、リーと僕はギタリストの立場から曲に関わるっていう形でした。だからある意味、どの曲にも僕らみんなが関わっているんですよ。
ーー:個々のメンバーがそれぞれ才能があって、しかも演奏力もあってすごくバランスのいいバンドですよね。
JOEY:どうもありがとう。
ーー:ところで先程も例えばアソシエイションやママス&パパス、ビーチ・ボーイズといった名前が出ましたが、当時ミレニウムが共感を持っていたアーティストや関わりのあったアーティストはいましたか?
JOEY:カートはアソシエイションをプロデュースしていたので、音という意味ではもちろんプロデューサーが共通していますので関わりがありましたね。ママス&パパスは、音楽的にはトニックとサードとメジャー7thというハーモニー・スタイルを有機的に持っていました。アソシエイションにおいてもママス&パパスにおいても、ヴォーカルやハーモニーが非常に受け入れられた時代に活躍していたので、そういうハーモニーや音を兼ね備えていました。僕はあまりそういうハーモニーには、本当はあまり興味がなかったんだけどね(笑)。
ーー:そうなんですか?
JOEY:でもそういった音楽をやっている人達から見たら、カートはまさにハーモニー・マスターだよ。でも当時はそういう音楽が溢れていた。でも僕個人的な考えでは、そういった音楽の王様はブライアン・ウィルソンだと思いますよ。あれより上手い人はいなかったですね。次がカート・ベッチャー。みんなは同じ様なハーモニーをやっていたけれど、ブライアンの作り出すハーモニーは素晴らしいものでした。
ーー:ブライアン・ウィルソンと一緒にレコーディングされたり、ライヴをされたりということはなかったんですか?
JOEY:残念ながら、それはなかったね。でもじっくりと音楽や色々な話をしたことはありますよ。
ーー:さて『ビギン』のお話に戻りますが、収録曲の中に琴といった日本古来の楽器が登場する曲がありますよね。これはカート・ベッチャーの趣味だったんですか?この辺のアイディアはどこからきたものなんですか?
JOEY:琴ですね。60年代に入ってロックン・ロールの中でもやっと世界の楽器が使われるようになりました。そんな時、ほとんどの人達はラヴィシャン・カールで有名だったシタールを用いました。カートの父親は軍隊にいて、60年代前半に日本に2年間住んでいたことがあるので、多分その頃の影響だと思います。リー・マロリーが作ったボールルーム時代に作られた曲で「Karmic Dream Aequence #1」っていう曲があるんですが、元々は琴とは全然関係ないものだったのがその後ミレニウムでこの曲をやることになったとき色々なアイディアが出てきて、その中からカートが琴を使おうと言い出したんです。そこで一生懸命探したんですが、67年当時にはロサンゼルスにいい琴の奏者がいなくて、やっと探してきた人は全く英語がしゃべれなくて、通訳の人もあまり役に立たなくて、「これはAmのキーなんですよ。」と言って教えてもB♭mか何かのキーで弾かれてしまって全然合わなくて、カートは頭を抱えてました。日本の音階なので、分かってもらうのが難しいですよね。リズム感も違うし。そこで琴のソロの部分は、録ったものをあとでテープ・スピードを上げて合わせました。日本の太鼓みたいな打楽器を後から入れたのも、カート・ベッチャーのアイディアです。今でも僕は大好きですよ、あの曲。日本で来週月曜日の夜(註:2000年6月5日に渋谷nestで行われたライヴのことです。)、僕らは演奏するんですが、そこにはYOSHI(長門芳郎)とMASA(小川雅己)という琴の演奏家をお招きしてますよ(大笑)。(註:これはあくまでジョークです。)どうなるかは知りませんが(笑)。あなたもご一緒にいかがですか(笑)。
ーー:実は僕の祖母は琴を弾いていたので、家には今でも2面の琴があるんですよ。
JOEY:一緒に共演しよう(笑)!
ーー:でも日本人で家に琴があっても、なかなか接する機会は少ないですよ、最近は。
JOEY:琴ってブリッジの部分も美しくって、すごくいい楽器ですね。東洋のスケールのマンドリンみたいな感じがしますね。
リー・マロリー(以下LEE):そのレコーディングに参加した琴奏者の方って、歌舞伎の一族の方だっていう話を聞いたことがありますよ。
ーー:そうなんですか。ところでリー・マロリーさんにお伺いしたいことがあるんですけれども、ボールルームを結成される以前の66年にヴァリアント・レーベルから、カート・ベッチャー・プロデュースによるソロ・シングルを2枚リリースされていますよね?このシングルのリリースにまつわるお話をお聞かせ頂きたいのですが。
LEE:私はアソシエイションのアルバムで、彼らと一緒に仕事をしていました。同じヴァリアント・レーベルで。だからそのシングル、例えば「That's The Way It's Gonna Be」なんかはまるでアソシエイションの様なサウンドでした。時期的にもちょうど(アソシエイションの)「Along Comes Mary」と「Cherish」のちょうど間ぐらいだったんですね。だからそのような曲になったんだと思います。
ーー:このシングルのレコーディング・メンバーは?
LEE:ジェリー・シェフとベン・ベネイがギター、トキシー・フレンチがドラムスでした。(註:これら名前の挙がった人達はスタジオ・ミュージシャンで、ユア・ギャングというグループ名でアルバムを発表、またカート・ベッチャーが関わっていたトミー・ロウやボールルームなどの演奏も手がけていました。)
ーー:ということは、その後のミレニウムのメンバーは参加していないんですか?
LEE:参加していないです。
ーー:僕の友人があなたの2枚のシングルを持っていまして、実は先程も事務所で聴いてからここに来たんですよ。「Take My Hand」が特に好きなんです。
LEE:「Take My Hand」はアソシエイションの「Never My Love」と同じ人(註:Don Addrisi & Dick Addrisiの兄弟。ちなみに「Never My Love」は彼ら自身も、Addrisi Brothers名義でセルフ・カヴァーしています。)が書いたんですよ。
ーー:そういうつながりがあるんですね。
LEE:そうですね。
ーー:その後66年頃から『ビギン』がレコーディングされ、68年7月にリリースされていますが、この前後の時期にライヴ活動はされていたんですか?
JOEY:その前にちょっと訂正させて下さい。ミレニウムとしてレコーディングが始まったのは66年ではなく、ボールルームとしてレコーディングされた音源があったのを当初は使ったのです。それはそういう契約になっていたからです。ミレニウムとしてのライヴは、全くやったことがありません。ただし今回ドリームズヴィルとポリスターからリリースとなった『ザ・セカンド・ミレニウム』『ザ・ミレニウム・コンティニューズ』の収録音源は、全てスタジオ・ライヴの1発録りです。ミレニウムの『ビギン』の前に、いわゆるプリプロとして録った歌入れ前のデモなんです。よく「ミレニウムって本当にライヴが出来るグループだったんですか?」ってよく聞かれるんですが、出来たと思いますよ。もしかしたらカート・ベッチャーは、これらの音源からヴォーカルを除いたバック・トラックを流しながら、それに合わせて演奏するライヴというのを、やりたかったのかも知れませんね。今だったらサンプリングや同期って簡単にできますが、33年前には出来ませんでしたから。あのアルバムを完全にライヴで再現するのは無理ですからね。だから『ビギン』は僕らが演奏したものに後からヴォーカルを足して出来たものです。
ーー:今回の『ザ・セカンド・ミレニウム』『ザ・ミレニウム・コンティニューズ』には、すごい数の未発表音源が詰まっていますよね。
JOEY:7人みんなが曲を書けるグループだったから。本当にみんな多作家だったんですよ。常に色々なことが新しくて。でも本当にあのテープがよく発見されたと思いますよ。もしかしたらもう1作ぐらい出来るかも知れませんが、当時のテープをチェックして、今聴いても問題ない様に色々と調整するのは、実は大変なんです。技術的にはもう1枚作ることは出来ると思うんですが、当時の音楽的な思いを生かしたかったのでこの2枚にしました。ポリスターもドリームズヴィルも説得力をもってこのプロジェクトを支えてくれ、それによってミレニウムの萌芽期(の音源)と統合された完璧な音楽(=『ビギン』)の2つを聴けることを嬉しく思いますね。音素材と、プロダクションとディレクションの全てがうまくいった結果だと思います。『ビギン』と『ザ・セカンド・ミレニウム』の間に「Blight」と「Just About The Same」の2曲があって、それぞれを聴けば3段階に違いがあることが分かってもらえると思います。
ーー:我々も今回のアルバムを聴かせて頂いて、曲が出来上がっていく過程を知ることができたのがとても興味深かったんです。
JOEY:それを分かってくれて、どうもありがとう!それが僕達の今回のリリースの狙いでもあったんです。
ーー:ちなみにこれらのアルバムの中で、お二人が最も気に入られている曲を教えて下さい。
JOEY:それは無理な質問だな。やっぱり無理だ(笑)。リー・マロリーので好きな曲なら「Karmic Dream Aequence #1」とか言えるけど、やっぱり無理だな(笑)。
ーー:ちなみに僕は...(笑)。
JOEY:君は?
ーー:「Just About The Same」と...。
LEE:僕もです(笑)!
ーー:それから「There Is Nothing More To Say」が好きです。
すみや鷲尾:僕は「I'm With You」ですね。
JOEY:グレイト!ちょっと「Just About The Same」について話してもいいですか?ある日マイケルとダグ・ローズが僕の家に来たんですよ。そこで「It's You」のミックスを2チャンネルでしていました。でテープを回していたときに、たまたまそれを逆回転させてしまったんです。それが「Just About The Same」に使われたんです。だから「It's You」を逆に回すと「Just About The Same」になるんです。「ア〜〜。」(その場で逆回転再生の物真似をするジョーイ。)それを聴いたマイケルは「すごい!」って言って詞を付け、ダグ・ローズがベース・ラインを考えたっていう訳です。
ーー:まさに偶然だった訳ですね。
JOEY:それ以来いつも逆回ししてみるんだけど、同じようにはうまくいかなかったね(大笑)。1曲で2度おいしいという訳には、いかなかったですね(笑)。
ーー:そういう実験って色々やっていたんですか?
JOEY:その時は、ね。カート・ベッチャーはそういうことが好きで、閃きがあってよくやってましたよ。テープをひっくり返してみたり。でも僕もある意味では、今でもやってますよ。
ーー:あと『ビギン』収録曲の中の「Some Sunny Day」という曲についてお聞きしたいのですが、僕が思うにこの曲ってフィル・スペクターとかの影響を受けている感じがするのですが、実際いかがですか?
JOEY:制作的な面ですか?それとも曲に関してですか?
ーー:アレンジや音の仕上がりに関してですが。
JOEY:直接的な影響は無いですが、カート・ベッチャーはクリエイティヴな音作りという面では、フィル・スペクターに似ていましたよね。でもカートはもっとヴォーカルやハーモニーについて詳しかった。君の言いたいことは、よく分かりますよ。例えばベース・ラインとかピアノ・ラインのことですよね。
ーー:そうです。
JOEY:モータウンの「My Girl」にも似ているし。あなたはよく聴いてますね。こんな質問をされたのは、初めてです。フィル・スペクターのエコー感やモータウンのベース・ラインの(間接的な)影響というのはあるかも知れませんね。ダグ・ローズはもともとそういった音楽が好きで、だから彼のは考えられたベース・ラインなんです。30年間でこの質問は初めてされました。でも答えはノーなんだ(大笑)。

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