#10 ジョーイ・ステック&リー・マロリー(ミレニウム) PART 2 of SPECIAL INTERVIEW

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SPECIAL INTERVIEW

ジョーイ・ステック&リー・マロリー(ミレニウム)

68年に発表されたアルバム『ビギン』は、美しいメロディーとハーモニーで大きな衝撃を与え、ミレニウムの名をアメリカのシーンにとどろかせ、また日本では80年代初頭に長門芳郎氏により紹介され大きな反響を得ました。発表から32年が経った2000年に当時の貴重な未発表音源が次々発見/リリースされる中、その中心メンバーとして活躍したジョーイ・ステック氏とリー・マロリー氏が来日を果たしました。そこでミレニウムの大ファンとして知られるL⇔R/HOWの黒沢秀樹氏と共に、『Groovin'』ならではのインタビューが実現!ミレニウムの謎解きの旅へ、一緒に出発しましょう。

(初出『Groovin'』2000年7月25日号)

PART 2

ジョーイ・スティック〜-サブ.jpgーー:それからお話が前後しますが、お二人が音楽を始められたきっかけを教えて下さい。あとすごく影響を受けたアーティストがいたら、それも教えて下さい。
JOEY:僕は7歳の時から音楽をやっています。父はカントリー&ウエスタンのミュージシャンで、シカゴで育ちR&Bなんかも聴いて育ちました。シカゴではロカビリーも盛んで、周りにはそういった音楽が溢れていました。で僕は、最初はエヴァリー・ブラザーズみたいになりたいなと思いました。ハーモニーも美しいし、ビートルズの最初の4枚もエヴァリー・ブラザーズの曲ですものね。シンプルで美しい2人のハーモニーは、心をしびれさせましたね。それからテンプテーションズや、ジーン・ヴィンセント、バディ・ホリー、エルヴィス・プレスリー、でも特に曲作りやメロディーの聴き方といった音楽的な面では、エヴァリー・ブラザーズの影響が大きいです。もちろんその後はビートルズやローリング・ストーンズもよく聴きましたが。僕はロックン・ロールが大好き。君はどうだい?(といってリー・マロリーに話を振るジョーイ。)
LEE:僕は、ゴーギー・グラント。
JOEY:ゴーギー・グラントは56年ぐらいに映画のテーマ曲を歌った先駆者みたいな人です。パット・ブーンみたいな、50年代後半の音楽なんですね。
ーー:最初に買われたレコードは覚えていますか?
JOEY:ビーチ・ボーイズの「409」と、ヴェンチャーズの「Walk Don't Run」、ジャッキー・ルイスの「Baby Walk Out」、ビル・ドジェットの「Honky Tonk」です。忘れもしない、この4枚。
LEE:僕はフランキー・アヴァロンの「Venus」。あとエヴァリー・ブラザーズにエルヴィス・プレスリー、ライチャス・ブラザーズの「You've Lost That Lovin' Feelin'」。
ーー:日本の音楽シーンを牽引してきた有名なミュージシャンに、大滝詠一さんや山下達郎さんという方がいるんですが、彼らとあなた達はすごく好きな音楽が共通している気がしますね。
JOEY:そうですか。
LEE:♪♪♪〜。(会話の裏で「Sukiyaki」(註:坂本九の名曲「上を向いて歩こう」)を口ずさむ。)
JOEY:「Sukiyaki」?この曲ご存知ですよね?これって62、63年頃の曲でしたっけ?
すみや鷲尾:「Sukiyaki」は63年6月15日にビルボードで1位を記録した曲ですね。
JOEY:そうですよね。記憶は正しかった。
すみや鷲尾:日本ではそれよりも1年ぐらい前からヒットしていた曲なんです。
JOEY:アメリカでは2年間ぐらいずっとヒットしていました。信じられないよね。良く覚えてますよ。ここで僕からの質問です。何で今の日本の方々...特に若い人達が、昔の60年代の音楽や僕たちミレニウムの様なグループにそんなに惹かれたり魅力を感じたりするんでしょうか?
すみや鷲尾:僕は45歳ですから、そんなに若くはないんですが...。
JOEY:では質問を替えましょう。ミレニウムから33年も経ったのに、なぜ僕らが今ここでこういった質問を受けてミレニウムについて話しているのか、その理由を教えて下さい(笑)。でも45歳にしては若いし、素敵ですよ。
すみや鷲尾:ありがとうございます(笑)。やはりハーモニー・ミュージック...僕が子供の頃はそういう言い方はしなかったけれど...高校生や大学生の頃にビーチ・ボーイズやウエスト・コーストの音楽を聴いていると、色々と(系譜を)辿っていくじゃないですか。周辺のアーティストにまで。そうした時にウエスト・コーストの音楽を紹介してくれていたのが長門芳郎さんだったので、彼の影響が大きいですね。それによってミレニウムを知った訳ですから。当時は口コミなどで広がっていって、それで実際にミレニウムを聴いてみるととても素敵だったんです。
JOEY:そういう話を聞くと、僕はすごく嬉しいですよ。もっと音楽を作ればよかった(笑)。
すみや鷲尾:先程ブライアン・ウィルソンとは話したことはあるけど、共演したことは無いとおっしゃっていましたが、僕の家のターン・テーブルの上ではビーチ・ボーイズのアルバムとミレニウムのアルバムとが共演していたんです。
JOEY:ブライアン・ウィルソンやビーチ・ボーイズの音楽は昔から聴いていて、ずっと気に入っていたんです。よくインタビューでも名前を出していますよ。
すみや鷲尾:だからミレニウムやビーチ・ボーイズの音楽を聴いたことで、僕はレコード屋の店員になってしまった訳ですし、今でもそういう音楽が好きですから、自分の店のお客さんに(ミレニウムのアルバムも)沢山売りましたよ(笑)。
ーー:僕は彼の店で買いました(笑)!
JOEY:(笑)どうもありがとう!
黒沢:僕はまだ若いですし、アメリカに住んだこともないので分からないんですが、60年代後半というとビートルズやビーチ・ボーイズも変わっていく時期ですよね。元からあったグループもどんどん変わっていったり、あるいは新しいものが突然出てきたり...。そこにはアメリカの場合ドラッグ・カルチャーというのがあって、いわゆるサイケデリック・ミュージックと呼ばれるものも出てきたりしたと言われていますよね。そういう時代の流れの影響とか、実際スタジオで例えば『サージェント・ペパーズ』にしても『ペット・サウンズ』にしても作り手も、そして聴く人もドラッグ・カルチャーの影響を認めているというところがあるじゃないですか。そういう渦中でミレニウムは、ドラッグ・カルチャーやそういう時代をどれぐらい意識して音楽をやっていたのかということを、教えて頂きたいんですが。
JOEY:(笑)僕は全然、分からないね。世界で何が起きても分からないぐらい、ストーンしてました(大笑)。
黒沢:(爆笑)。
JOEY:正直な話、僕らはたまたまそういう時代にいて、たまたま世界中でそういうことが行われていたんですね。でもそれと音楽とは関係ない気がします。65年はまだ白黒テレビの時代でLSDが出来たとかいうのが報じられていて、次にカラー・テレビや映画で見たときには極彩色で、フェイジングや色々なノイズが入った音楽が聞こえてきて、でもドラッグが音楽に影響をしたかと言えば、答えはノーです。ドラッグとかではなく、創造性とはもっと高いところから来るものです。もっと繊細であるし。ドラッグはむしろ人にダメージを与え、人を殺す方向へと導いてしまいます。創造性というのは人間のもっと繊細な部分と関わっているものだから、感情や表現を奪い去ってしまうものがドラッグだと思いますね。60年代にはパーティーなどを通じて、ドラッグは一種の閃きを生む道具ではあったかも知れません。僕らもみんなそう思っていました。でもビートルズやビーチ・ボーイズなんかも、(ドラッグによって)もっと創造的なものをやってくれると思っていましたが、そうでもなかったですね。確かに楽しかった時代ではありましたが。
黒沢:僕はその当時の他の音楽に比べて、ミレニウムの音楽はとてもクールだと思うんですよ。抑制の美学とでもいうか。だからサウンド・メイキング自体が今聴いても新鮮に聴けるんです。
JOEY:ありがとう。すごく一生懸命作ってましたよ。でもみんなでもっと長く続けられれば良かったんですが。やはり一時期に沢山のエネルギーをかけすぎたんですね。みんな若かったし、ストーンしてました(笑)。もちろん熱中していたという意味ですよ(笑)。
黒沢:ミレニウムの皆さんは、当時16トラックという制限されたチャンネル数の中でこんなすごいアルバムを作ったじゃないですか。当時としては画期的だったですけれど。でも今だったら48トラックあって、例えば今皆さんがミレニウムとして活動していたら、どんな音楽を作りますか?
JOEY:結局当時からマルチ・トラックをピンポン録音したりしてやっていた訳ですから、同じ様なことをやっていると思いますよ。ただミックスはし易かっただろうな、とは思いますね。これ以上演奏の時に色々な音は入れなかったと思いますよ。もう目一杯ですよ。今(のトラック数)は多すぎると思いますよ。当時の録音も、時々(音を)入れすぎたなと思うことがあります。
黒沢:多すぎるくらいですか。ミレニウムを聴いていると、本当はもっと入れたい音がいっぱい合ったんじゃないか?という気がしていたのですが。
JOEY:とにかく今ならミックスはし易いし、チャンネルごとの音の分離もしっかりしているとは思うんですけど。でも当時は専用のコントロール・ボードもちゃんとしたものがなく、コンソールも無かったんです。とにかく8チャンネルに音を入れるだけだったんです。もし同じことを今やったとしても、恐らくミキシングを綺麗にやって音に透明感を出すとか、その程度だと思いますよ。だから楽器のパート自体は入れ替えないと思います。僕の個人的な意見ですが。
ーー:黒沢君たちのグループL⇔Rのアルバムは、とにかくすごいんですよ。ミレニウムの影響をすごく受けている部分もあるし、特に複雑なハーモニーとか楽器のアレンジとか。
JOEY:何というレーベルから出ているんですか?
黒沢:初期はポリスターです。
JOEY:(ポリスターの担当者の方を見ながら)ホントに!?聴きたいです。ミレニウムに影響を受けているんですか?
黒沢:僕らは特に初期の頃、よくスタジオにミレニウムのアルバムを持ち込んで聴いていました。
JOEY:今度色々トリックを教えてあげましょう(笑)。
ーー:それからL⇔Rのファンの中には、黒沢君たちがやっている音楽やラジオでミレニウムを知って、それでミレニウム・ファンになった若いリスナーもすごく多いはずです。
JOEY:ありがとう!
ーー:僕も今でもイベントでDJやるときには、よくミレニウムの曲を廻します。
JOEY:多分MASAとYOSHIも喜んでいます(笑)。
ーー:では最後に、お二人の今後のご予定を教えて下さい。
JOEY:クリエイション・レコードのジョー・フォスターと共に、76年に僕のソロ名義で出したアルバム『ジョーイ・ステック・アルバム』がCD化(ポリスターから発売中)されます。あとミレニウムの仲間では、サンディ・サリスベリーの未発表曲を含むアルバム『サンディ』も、ドリームズヴィルから発売(現在発売中)されますのでお楽しみに。あとリー・マロリーのアルバムを、彼の曲で作りたいですね。是非次回はサンディとマイケルも誘ってみんなで日本に来たいですね。歳が若ければもっとよかったんですが、でもカート以外の6人は元気ですし、60曲もの未発表曲があるので、また続編が出せるかも知れません。キース・オルセンも健在で、みんな歌を歌っています。新しい曲も書いたりレコーディングもしたいですね。カート・ベッチャーはいないけれども、キース・オルセンのプロデュースでハーモニーを入れて。カートがいないのは痛いけど、マイケル・フェネリーとサンディ・サリスベリーのサウンドはカートと似ているので、天国のカートと意志を繋げ合って...。カートがどんな風にレコーディングを進めたのかは、みんなが覚えていますから。いいプロジェクトでしょ。出来るかも知れないですよ。
ーー:本当に楽しみにしています。どうもありがとうございました。
LEE:本当にどうもありがとう!
JOEY:どうもありがとう!(黒沢秀樹氏に向かって)音楽頑張って下さいね。

(2000年6月1日 ドリームズヴィルにて)
構成:土橋一夫/インタビュー:土橋一夫&黒沢秀樹(L⇔R/HOW)

『ビギン』
ビギン-J写.jpg




CD
Sony Records
SRCS-6107
¥1,748(税抜)
発売中

西海岸サウンドの立役者、カート・ベッチャーのプロデュースによる68年発表の名盤。美しいメロディ・ライン、極上のコーラス、どれをとっても最高の出来。その後音楽シーンに与えた影響も、計り知れないほど大きい。ボーナス・トラック2曲を、追加収録。

『ザ・セカンド・ミレニウム』
セカンド・ミレニウム.jpg




CD
ドリームズヴィル
YDCD-0027
¥2,381(税抜)
発売中

67〜68年にかけてレコーディングされた、ミレニウムの未発表音源集。もちろん世界初CD化。『ビギン』に収録されている「It's You」「It Won't Always Be The Same」などのデモや初期ヴァージョンも含まれており、作品が仕上がっていく過程を知る上でも貴重な作品集。

『ザ・ミレニウム・コンティニューズ』
コンティニューズ.jpg




CD
トラットリア
PSCR-5873
¥2,381(税抜)
発売中

67〜68年にレコーディングされた、もう1つのミレニウムの未発表音源集で、世界初CD化。『ビギン』に収録されている「Prelude」や、カート・ベッチャーのソロ・シングル「Share With Me」といった、レア・トラックが目白押し。カートの仕事ぶりを再確認できる意味でも、貴重な作品集だ。

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