#6 NONA REEVES of SPECIAL INTERVIEW

SPECIAL INTERVIEW

NONA REEVES

3月23日に待望のニュー・シングル『LOVE TOGETHER』をリリースしたノーナ・リーヴス。今作はあの筒美京平氏との共同プロデュース作ということで、早くも大きな話題となっています。京平さんとの出会い、そしてこれから彼らが目指す音楽について、Voの西寺郷太氏にたっぷりと語って頂きました。すみやサイバーショップだけのコンプリート版でお送りいたします。

(初出『Groovin'』2000年3月25日号)

PART 1

ノーナ・リーヴス-A.jpg

−−:今回の『LOVE TOGETHER』は、今までのディスコ路線をまたさらに一歩推し進めてきたサウンドに仕上がっていますが、ご自身ではどうですか?
郷太:インディーズの頃から、そしてメジャーでリリースしてからもずっと思ってきた事なんですけど、僕らノーナ・リーヴスのいいところ...つまり好きな音楽を忠実に自分が思ったようにやりたいということ...が出来た作品だと思います。それは僕が目指しているポップ・ミュージック、例えば(マイケル・ジャクソンの)『スリラー』みたいなアルバム...が一番好きだっただったから...。『スリラー』には「ビート・イット」もあれば「ビリー・ジーン」もあるし、「ヒューマン・ネイチャー」や、普通のダンス・ナンバーである「スリラー」もある。最後にはAORっぽいバラードまで入っている。だからそういう意味で最初から全部ダンスでとか、全部バラードでとか、そういうアルバムではなくて、僕らもいろんな角度からそういう音楽の伝統に則った形で今の自分達なりの音楽をやるというのが、ノーナ・リーヴスの一番フレキシブルでいいところだと思うんですけど。で、例えば単純に何万人もの人に(僕らの)曲を届かせようと考えた時に、ある程度(作品に)連続性を持たせて「これがやりたいんですよ」ということを示していかないと、「(ノーナ・リーヴスは)色々なことが出来るすごい人達」というイメージで止まってしまうと思ったんです。でも自分の中では、自分のやっていることとか性格とかキャラクターも含めて、すごくポップなことをやっているし、目立つことをやっているとは思ってはいたんですけど。でもそれは今まで自分が思っていた音楽的な意味でのポップというものであって、例えばジミヘン好きだったり、ジャニス(・ジョプリン)好きであったり、ヴェルヴェット(・アンダーグラウンド)好きだったりという人の中で比べた場合にマイケル・ジャクソンはポップだというのと同じで、音楽を何も知らない一般的な人達の中で自分達のやっていることがどう(見られる)かって考えた時に、もう1歩大きくならないとダメだなって、思ったんです。ただ一番最初に自分達は、そういう日本という国の音楽の中で、そういうものが好きで(音楽を)始めた訳ではないから、そのジレンマがすごくあって。ポップなものが好きで、売れているものも勿論好きで。『スリラー』なんか一番売れたアルバムなんだけど、でもそれをこの国でやるときに一番異端なものになってしまうと言うか、僕としてはすごいど真ん中の直球を投げているつもりが、それがおかしな事になってしまう。例えば「戦争反対」と言っている事が、すごい非国民になってしまうみたいな。それは時代によっても違うと思うんですよ。ただ、みんながむちゃむちゃ戦争をしたいというムードの中で1人だけ「戦争反対」って言うのは、見せかけの平和主義みたいで、その方が攻撃的にとられちゃったりする場合もあるじゃないですか。「戦争やろうぜ」って言っていることの方が、みんなに迎合していることかも知れないし。だから自分の中での『スリラー』というのは、「戦争反対」って言っていることと近いんです。僕らの音楽について「ポップですね」とか「優しい歌だ」とか「メロウですね」とかよく言われるんですけど、自分の中では全くそうではないというか、そこ自体に主張があってやっていることだから、何か他のものと聴き比べてみたり僕と喋ってみれば一発で分かるのにっていうのがすごくあるんです。だからその部分で「自分やバンドの武器は何か?」ということを考えたときに、やはりディスコでありソウルであり、80'sだというところに辿り着いたんです。実は僕はビートルズが好きで、小学生の頃からリバプールに行くくらいめちゃめちゃビートルズ・フリークだったんですよ。中1の時にはアビイ・ロード・スタジオに忍び込んで、黒人につまみ出されたくらい(笑)ジョン・レノンが好きで。でもあまりインタビューとかではジョン・レノンが好きだとは言わないんで...それよりマイケル・ジャクソンとかジョージ・マイケル好きで通ってると思うんですが、でもジョン・レノンは特に好きで、僕の(音楽の)根本にもメチャメチャあるんだけど、そこでビートルズ的なものやギター・バンド的なもので勝負するとなると、今はそういうのが好きなバンドは沢山いるし、僕がそこで「お前と俺は違う!」と思っても、説明するのが大変じゃないですか。だからそういう歌で勝負するよりは、今やっている「バッド・ガール」から選んだ路線〜「バッド・ガール」「ストップ・ミー」「ラヴ・トゥギャザー」という路線の方がいいと思ったんです。次のアルバム用の新曲も7曲作って、もうすぐレコーディングに入るんですがそれもその路線で、シック(Chic)とかが根本にある演奏と歌です。それは何故かというと、小松(茂)のドラムにしても、サポートで入っている千ヶ崎(学)のベースにしても...彼は大学時代からの友達なんですけど...奥田(健介)のギターや僕の歌と作詞・作曲能力をも含めて考えたときに、やはりここまで今の日本でディスコやフィーリングのあるソウルを出来るグループは自分達しかいないと思っていて、そこをきちんとアピールしないといけないんじゃないかと思ったからなんですね。ソウルというと(一般的には)どうしてもオーティス(・レディング)側やアレサ(・フランクリン)側にいってしまうし、...アレサとかはポップなんだけど...それからシンガーとしてはディーバ系だったり、歌い上げ系で本当に自分の世界に入っちゃうみたいなものですけど、でも僕が好きなのはマーヴィン・ゲイだったりテンプテーションズや、デヴィッド・ラフィンも違った意味で好きなんです。でも日本人がそれをやるっていう時に、どうしてもブルー・アイドな感じって出ちゃうと思うんですよね。絶対に黒人じゃないから。でもポップ・フィールドでソウルをやる、ディスコ的なものやダンサブルなものをやることで、自分達の良さが出せたらということで、今回「ラヴ・トゥギャザー」という曲を作って、ディスコって一言で言っちゃうぐらいのものにしようと考えたんです。その時に(筒美)京平さんという名前が、ポンと浮かんできたんですよ。
−−:京平さんは、どんな方ですか?今回一緒にやってみて。
郷太:優しい人だと思いましたね、本当の意味で。人間って本当に優しいとドライになるというか、冷たくなると思うんです。表面的にすごく優しい人って、逆に言うとただうまく言えないからまとめているだけで、本当は優しくないというか、そんな感じですよね。でも(京平さんは)すごくカラカラした人で、でも僕はそれが心地よくて。例えば曲にしてもこれはヒットするかしないかとか、人の心に届くか届かないかというところだけで(京平さんは)考えているから、「郷太君の曲、いいね」とか言うんだけど「それだとヒットしない」とか、カラッとはっきり言うんですね。例えば家庭教師で言えば、僕が高3で受験の時に土橋さんが僕の家庭教師の先生で、受験に関係ない本当の勉強を教えてくれたとして、でも受験に失敗して大学落ちてしまったら家庭教師としては失格じゃないですか。いくらいい事を教えてくれて僕が土橋先生って思っていても。で、家庭教師である以上、僕の親が金を払っている訳だから、そのクライアントに対して結果を出さないと、子供はどれだけ先生のお陰で勉強を好きになったっていってもだめだっていうところがあって。それと同じように僕らの中ではその規模は分からないけれど、これからの課題は人に伝えていくという作業だと思うんです。伝えられた人がどう受け取るかということは今までの経験としてわかっているつもりなので、それをもうちょっと広げていくためにはどうしたらいいか...例えば街を歩いている時に聴こえてきて、思わず足を止める歌...そういうものはどんな曲なのか。自分としては自分が止まる曲しか作っていないんですが、それは掃除のおばちゃんが立ち止まる曲かもしれないし(笑)、もしかしたらビートルズの「ヘルプ」とかはいい歌だけど、ラーメン屋で聴いても「ヘルプ?何だよ?」って思う歌なのかも知れないし。それは外国で、今日本で流行っている変な歌詞が飛び込んでくる歌を突然聴く、みたいなものかもしれない。それぐらいドキッとするもの。僕は英語の音楽を聴いて育ってきたから、自分はそういう音楽(洋楽)が大好きなんだけど、それが普通じゃなかったというところを、この何年かで感じたんですよね。でもそれは決してアメリカのヒット・チャートがいいとか、イギリスのヒット・チャートがいいとかいうことではなくて、絶対日本の方が逆に面白いと思っているから、日本人として洋楽のポップ・ミュージックを聴いて育ってきたという伝統が僕の中にあるから、勿論そういう中での受け取り方としての問題なんですよ。アメリカがいいとか、イギリスがいいとかいう話じゃなくて。この国に生まれて、この国で音楽を聴いてきたというのは事実なんだから、自分が音楽やりたいと思った時にどう作り、どう伝えていくかっていう方が問題だと思うんですよ。それはヨーロッパでの昔のオペラでも同じだろうし、イタリア語でやってたものをドイツ語でやると、すごくダサくなったりとか、イギリスの歌をイタリア語でやったら、変な感じに聞こえてしまうとか、そういうところと同じで。ミュージカルやっている人と話すと、本当に日本語は難しいんだってよく聞きますよね。ミュージカルとかを世界で指導する方も、世界中の音楽で日本語ほどのりにくい言葉はないよ、というらしいですよね。中国語とかの方が、全然簡単らしくて。それぐらい難しい言葉を使って僕らはポップ・ミュージックをやっているという時点で、昔の英語でやっていた音楽とこの「ラヴ・トゥギャザー」は全く違うものだと思うし。元々僕なんかは英語をのせて曲を作っちゃうので、あまり変わらないんですよね。でもそこに日本語をのせた時、グッと歌謡曲っぽくなるというか。逆に言うと歌謡曲っぽくなるということが武器だとしたら、その武器を一番よく知っている人を呼んでくるしかない、と思って。
−−:それが京平さんだったと。
郷太:そう。一番歌謡曲を知っている人っていうことでアンケート取ったら、1位じゃないですか、京平さんが。ダントツの歌謡曲マスターでしょ。そういう人に対して35歳ぐらい違う僕が、どういう風に対応できるのかというところも知りたかったし。で、自分達なりのポップ・フィーリングって京平さんのものとは全く違うし、京平さんってすごい強烈な個性だから、そこでぶつかったときにソングライターとしてどうなるかというのにも興味があったんですね。で、ここで僕がやってすごい事がディスコで出来たら、これはもっと先に行けるのではと思ったんですよ。また(京平さんとやることの)危険性もわかっていて、京平さんとやるって言ったら実は反対する声もあったんです。ある意味欽ちゃんとお笑い番組やるみたいな、今京平さんとやってどうするの?みたいな事をいう人はいたんですけど、でも僕は逆にだから知りたいんだっていうところがあって。あと今までに出した僕らの曲を京平さんが誉めてくれていたそうなんですよ。で、その誉め方が「これいいねぇ、若いのにポップス分かってるね。」みたいな感じだったらしいんですが、「ストップ・ミー」の時に「これはいいね!」という好反応だったっていう話が伝わってきて、しかも「彼らはヒットする気あるの?あるんだったら、もっと毒っ気入れなきゃ。」毒っ気というのは下品なところなんですけど、それがなきゃっていうことを言われたという話を聞いて、僕は今までに聞いてきた話と違うなって思ったんですよ。今までは「頑張ってるな」みたいな誉め方だったのが、「ストップ・ミー」ではそういう風に思ってくれたんだっていうのがあったので、だったら(京平さんと一緒に仕事をすることで)次のステップを教えてもらいたいと思ったんです。で、(京平さんが)1曲しかやらないというのは最初から分かっていたから、それだったらどうせやるなら、僕の曲だけど京平さんと共作みたいな形までもっていってシングル作りたいなと思って。ただ単にノーナ色でやる訳でも京平さん色でやる訳でもなく、できるだけ自分と京平さんの共作みたいな形でと思ったんです。もう(レコーディングの)最後の方には、共作でもいいですよって京平さんには言ったんですよ、でも京平さんは「いいよ、郷太君が作ったんだから。」って言ってくれたんで、結果的には僕の作詞・作曲になりましたけど、僕的には京平さんとの共作みたいな感じでしたね。例えばメロディの部分部分では、京平さんのものが実は微妙に入っていて、こっちの方がいいんじゃないかみたいな感じで。今までだったらそういう作り方は絶対にしなかったんだけど、今回はそういうことをしてみたいと思ってやったことだったから、そういうことから受ける刺激もありましたね。京平さんの家にも2〜3回行って曲を直したりして、またレコーディングも大事なところは京平さんもほとんど立ち会ってくれて、いろんなアドバイスをしてくれたし。あと「ラヴ・トゥギャザー」という曲を京平さんがすごく気に入ってくれて、でももっともっと(売れる)商品に近づけなくちゃいけない、いい音楽だということは分かっているからそれを次のステップへ持って行かなくちゃいけない、ということで色々やってくれたんですね。それでミックス・ダウンの時に京平さんに「この曲、どうですかね?」って聞いたんです。僕も今までの曲だったら、始めからある程度ヴィジョンが見えていて自分でそのヴィジョンに近づけていくなり、バンドの中でバンドとしてのヴィジョンを固めて作っていく、っていう2つのパターンがあったんですけど、今回は本当の意味での外部プロデュースで初めてやったということで、ちょっと違ったんです。キリンジとかもやってる冨田恵一さんとやった時もそれに近かったんだけど、恵一さんは僕の中では作曲とかメロディ・メイカーではなくトータル・プロデューサーという感じなんだけど、京平さんは本当に曲作りの人だから、そういう意味での(ノーナのあるいは僕の)根本的な改革というところがあったと思うんですよ。そこで自分の中での戦いとか葛藤は、かなりありましたね。僕が曲作っていて半泣きになったの、初めてですよ。
−−:そこまでいったんですか!
郷太:そうなんです。今まで僕は、曲はすぐ作れるから...今でもこの場で作れるぐらい、それもいいものが...っていう自信があって、だから「曲が出来なくて、ごめんなさい」って言ったことがないんですよ。ただ「ラヴ・トゥギャザー」に関しては、今回カップリングに(オリジナル曲を)入れなかったのは、これに賭けているというのが1つと、ここに今までの10曲分ぐらいの苦労や思いが入っているからなんです。今までだったらメンバーであったりファンだったり、ある程度反応が分かる人に対して曲を作ってたんだけど、今回はそれこそ掃除のおばちゃんレベルというか(笑)、それこそ昔買ったレコードが「およげ!たいやきくん」以来とかいう人にも...実際届かないとは思うんだけど(笑)届かせる、それぐらいの気持ちで作ったんです。で、京平さんも最終的に「ようやく商品になりましたね。」って言ってくれて。「でもまだ洋楽的すぎるね。カッコ良すぎるよ。」って言われて。でも例えば言葉で、掃除のおばちゃんやそば屋のおばちゃんにまで届けたいって言えども、そば屋のおばちゃんにCD買わすのって相当な事だし、買わしたところでいいのかどうかよく分からないっていう(笑)問題もあるし。でも気持ちとしてはね、それぐらいのものを作りたい、その上で本当にシック好きだったり、今までのノーナ・リーヴスの音楽に対して理解のある人に対しても納得してもらえるものを作りたかったんです。京平さんという名前だけで、すごいブランドじゃないですか。一定の音楽ファンからしたら、ある種神様みたいな存在ですよね。野球で言ったら、川上か、スタルヒンか、沢村か...。
−−:長嶋じゃないんですね。
郷太:(笑)長嶋はもっと動いてるっていうか(笑)。
−−:もっと伝説のっていう感じ?
郷太:ホント、伝説のっていう感じ。そういうところを知ってる人にもアピールしていきたいし。今までのノーナ・リーヴスってある意味評価しづらいバンドだったと思うんですよ。例えば完全なる音楽家みたいなバンドだったら、評価し易いじゃないですか。キリンジとか僕も好きなんですが、逆にこういうバンドに対してこの音が好きだ、いいなっていうのは簡単だっていうのをいつも思っていて。ミッシェルガン・エレファントとかもバンドの音としてすごく素晴らしいと思うんですが、でもそれも誉めやすいと思うんですよ。でもノーナ・リーヴスはもうちょっとふわふわした存在で、評価しにくいんじゃないかと。去年の秋からベースに千ヶ崎を加えてようやくバンドとして固まってきて、ライヴというものが益々重要なファクターとなってくると思うんですけど、ノーナ・リーヴスはすごい曲作るいいバンド、でも立ち位置的にどういうところにいるバンドなのかよく分からないということがあるんじゃないかと、思ったりもしますね。例えばアドヴァンテージ・ルーシーやラウンド・テーブルとかの側でもあるけど、ちょっと違うし微妙だな、みたいな。そこのヴォーカルと僕が交代したら、やはりちょっと違うかな(笑)みたいな感じもするし、キリンジとかと一緒かって考えてももうちょっと俗っぽいというか、マイケル(・ジャクソン)入ってるというか。むしろトライセラトップスとか見ていて、違うけど根本が近いなって思いますよ。あと世代は違いますけど、サザン(オールスターズ)とか一番近いなって思う時ありますよ、最近。桑田さんみたいになってよ、とか言われますよ、何故か最近いろんな人に。ソングライターとして圧倒的な力を見せつけることしか、僕の中にはないし。でもノーナ・リーヴスというバンドはサザンとは違うから、失礼だけどワンマン的なバンドではなくドラムにしてもギターにしても個々の演奏者としてのキャラクターが立っているグループだと思うし、ニュー・サザンじゃないけどそこをもう少し前に出して行きたいです。それが今の気持ちですね。で、京平さんは桑田さんや松任谷由実さんとか、小沢(健二)さんのこととか誉めてて、僕のことも誉めてくれて、そこで自分の中では誉められるポップ・ソングライターになったということに関してすごく嬉しかったし、それならポップ・ソングライターとしてもうちょっと人に届けられる音楽を作るのが使命だと思っているから、そこをクリアさえすれば僕が今やっていることは間違ってはいない、と。ノーナ・リーヴスという存在は一部の音楽マニアにだけ届くものではないし、ポケット・ビスケッツみたいなものでもないし、でもその中間にちゃんと本当の意味で居れる存在。それこそマイケル・ジャクソンのすごさだと思うし、ビーチ・ボーイズであったり、ビートルズやプリンスのすごさというか。逆に言うと、そこを開拓して行かなくてはいけない立場にいるし。日本では自分が今まで好きだったアーティストはいっぱいいるけど、自分がなりたい、ああいう歌を歌いたいというようなアーティストはいなかったんですよ。多分こういう(ポップな)歌を作ろうと思っても、それまでの人には多分出来なかったんだろうなっていうのがあって。だったら説明しなくちゃいけないし、教えなきゃいけない。でも教えるのには特にポップなものは時間がかかるし、ポップなものでデビュー曲から大ヒット飛ばしたっていう人はなかなかいない。だからまずは、徐々に自分も土台を作ってスタミナ蓄えていった上で、細野(晴臣)さんだったり山下達郎さんだったりそういう存在に将来自分がなれるとしたら、今の歩みは正しいと思うんですよ。今回京平さんとやったことで確信も持てたし、日本語でソウルフルなポップ・ミュージックをやりたいということは絶対間違っていないと思うし、それが分かったのが「ラヴ・トゥギャザー」の収穫でしたね。

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